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ここ数日、各球団が堰を切ったように戦力外通告を始めた。
大して不思議なことではない。例年オフのいわば恒例行事である。
そんな中、日本ハムから一人の男が戦力外通告を受けた。
森章剛。
単に「ショーゴー」と表記した方がピンと来るかもしれない。
この男、一体どんな選手だというのか。
簡単にまとめてしまうと、1997年、高校通算44本塁打の記録をひっさげ、藤蔭高からドラフト2位でドラゴンズに入団した外野手である。
しかし、プロ入りしてからは3年間のファーム暮らしという試練が続いた。
彼の当時の登録名「ショーゴー」の名が知られることとなったのは2001年に入ってからのこと。
シーズン開始間もない5月1日。
忘れもしない、東京ドームの巨人戦だった。
晴れて一軍昇格を果たしたショーゴーはプロ初打席に立った。
マウンドには野村。
「あぁショーゴーか。一軍に上がって来とったんやなぁ」
と思った初球。
澄んだ音を発した打球は例によって5万5千人のスタンドに消えていった。
プロ野球史上6人目(外国人を除くと5人目)のプロ初打席初球ホームランの快挙を達成した瞬間だった。
この時、なぜか自分はものすごい衝撃を受けたのを覚えている。
「プロ初打席初球ホームラン」この言葉の響きは、まだ野球の「や」の字ぐらいしか知らなかった自分に大きな衝撃を与えたのだろう。
そして2002年シーズン。登録名を「章剛」と変えた森は、後に自身最多となる34試合に出場する。
しかしながら、登録名を本名にした2003年シーズンは一軍出場ゼロ。
またまた苦しいシーズンを迎えることになる。
2004年シーズン。
落合新監督に代わったこの年も開幕から1軍に呼ばれることもなくペナントレースは続いていった。
チームは5年ぶりの優勝も決定的となった終盤、ようやく1軍からお呼びがかかる。
守備固めをきっかけに、持ち味の打撃では打率.219ながら出場10試合で3本塁打。
10試合で放った7安打は先制打・勝ち越し打と要所要所ではなった安打・本塁打は一人でマジックを3つ減らす原動力となり、ここでまた名が知られることとなった。
チームは優勝を果たし、日本シリーズにも出場。
日本シリーズでは11打数1安打とふるわなかったが、大きな期待を持って2005年シーズンに臨むこととなる。
そして、2005年。
さらなる飛躍が期待されたのだが・・・
ファームで.325、10本塁打の好成績を収めるも、結局1年間ナゴヤドームから声がかかることはなかった。
そしてオフ。
日本ハムへの金銭トレードが言い渡される。
新天地で迎えた2006年。
チームは豊富な投手力を要に、25年ぶりのシーズン1位へと躍進する。
しかし、今年も1軍戦のスコアボードに「森章剛」の名が表示されることはなかった。
チームがプレーオフを控えた9月29日。
「戦力外通告」たった5文字の悪魔はこの男のプロ人生の終わりをたくらんだ。
たいした活躍をしたわけではない。通算で出場試合もたった62試合。
しかし、確かにこの男は自分の心に強い衝撃を与えた一人だ。
2004の終盤などは打率は低くても、何かやってくれそうなオーラを持っていた。
トライアウトには参加するのだろうか。
「森章剛」のバッティングを、オーラを、センスをもう一度発揮して欲しい。
もしその場が他球団だろうと社会人だろうと、どこだろうと。
まだできる。
まだ野球をやめるような男ではない。
魅せてくれ、衝撃を与えたショーゴーの野球を。
大して不思議なことではない。例年オフのいわば恒例行事である。
そんな中、日本ハムから一人の男が戦力外通告を受けた。
森章剛。
単に「ショーゴー」と表記した方がピンと来るかもしれない。
この男、一体どんな選手だというのか。
簡単にまとめてしまうと、1997年、高校通算44本塁打の記録をひっさげ、藤蔭高からドラフト2位でドラゴンズに入団した外野手である。
しかし、プロ入りしてからは3年間のファーム暮らしという試練が続いた。
彼の当時の登録名「ショーゴー」の名が知られることとなったのは2001年に入ってからのこと。
シーズン開始間もない5月1日。
忘れもしない、東京ドームの巨人戦だった。
晴れて一軍昇格を果たしたショーゴーはプロ初打席に立った。
マウンドには野村。
「あぁショーゴーか。一軍に上がって来とったんやなぁ」
と思った初球。
澄んだ音を発した打球は例によって5万5千人のスタンドに消えていった。
プロ野球史上6人目(外国人を除くと5人目)のプロ初打席初球ホームランの快挙を達成した瞬間だった。
この時、なぜか自分はものすごい衝撃を受けたのを覚えている。
「プロ初打席初球ホームラン」この言葉の響きは、まだ野球の「や」の字ぐらいしか知らなかった自分に大きな衝撃を与えたのだろう。
そして2002年シーズン。登録名を「章剛」と変えた森は、後に自身最多となる34試合に出場する。
しかしながら、登録名を本名にした2003年シーズンは一軍出場ゼロ。
またまた苦しいシーズンを迎えることになる。
2004年シーズン。
落合新監督に代わったこの年も開幕から1軍に呼ばれることもなくペナントレースは続いていった。
チームは5年ぶりの優勝も決定的となった終盤、ようやく1軍からお呼びがかかる。
守備固めをきっかけに、持ち味の打撃では打率.219ながら出場10試合で3本塁打。
10試合で放った7安打は先制打・勝ち越し打と要所要所ではなった安打・本塁打は一人でマジックを3つ減らす原動力となり、ここでまた名が知られることとなった。
チームは優勝を果たし、日本シリーズにも出場。
日本シリーズでは11打数1安打とふるわなかったが、大きな期待を持って2005年シーズンに臨むこととなる。
そして、2005年。
さらなる飛躍が期待されたのだが・・・
ファームで.325、10本塁打の好成績を収めるも、結局1年間ナゴヤドームから声がかかることはなかった。
そしてオフ。
日本ハムへの金銭トレードが言い渡される。
新天地で迎えた2006年。
チームは豊富な投手力を要に、25年ぶりのシーズン1位へと躍進する。
しかし、今年も1軍戦のスコアボードに「森章剛」の名が表示されることはなかった。
チームがプレーオフを控えた9月29日。
「戦力外通告」たった5文字の悪魔はこの男のプロ人生の終わりをたくらんだ。
たいした活躍をしたわけではない。通算で出場試合もたった62試合。
しかし、確かにこの男は自分の心に強い衝撃を与えた一人だ。
2004の終盤などは打率は低くても、何かやってくれそうなオーラを持っていた。
トライアウトには参加するのだろうか。
「森章剛」のバッティングを、オーラを、センスをもう一度発揮して欲しい。
もしその場が他球団だろうと社会人だろうと、どこだろうと。
まだできる。
まだ野球をやめるような男ではない。
魅せてくれ、衝撃を与えたショーゴーの野球を。
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» 無題
俺も同じくショーゴーのホームランをすごく印象深く覚えているよ。
初球だったからな。
アナウンサーの初球、初球の連呼が印象的だった。
中日外野層の厚さを知らされたよ。
惜別球人・・・。
俺もオフに大量に更新することになりそうだ・・・。
初球だったからな。
アナウンサーの初球、初球の連呼が印象的だった。
中日外野層の厚さを知らされたよ。
惜別球人・・・。
俺もオフに大量に更新することになりそうだ・・・。
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